ブライアン・バートン・ルイス(タレント/パーソナリティ)

『80年代って大きな花火のように感じてる』

振り返ってみるとちょうどいちばんおもしろい時期なんだよね、80年代が。子供から脱出する時代だから

★まずブライアンの生年月日を教えて。

「1971年の10月9日」

★じゃあ、80年で10歳くらいか。この頃はどこにいたの?

「茨城県の筑波にいたね。途中で東京に引っ越してくるんだけど、振り返ってみるとちょうどいちばんおもしろい時期なんだよね、80年代が。子供から脱出する時代だから。80年代の最初はまだ外で遊び、表を走り回り、まだ子供のマイワールドで遊んでるんだけど、中学に入るくらいから音楽とかファッションとかに影響され出していって、自分の趣味趣向がどんどんいろんな方向へ走るじゃん? さらに高校時代から二十歳までがオレの80’sだからさ、その影響はすごいよね」

★ちなみに東京に移ったのはいつ頃?

「13歳かな? 中学から学校の寮に入ったんだよね。いわゆるアメリカン・スクール」

★その頃、音楽で印象に残ってることは?

「自分の中の音楽の波って80年代にはいろいろあったりするんだけど、すごい憶えてるのは、オレの家族って夏だけ毎年、長野県に行ってたのよ。国際村ってところがあって、日本中にいる外人の家族がそこにある別荘に夏だけ集結すんの。で、その別荘が300軒くらいあるわけ。だから夏に300世帯くらいいっぺんに集まるんだよね。そこには湖があって昔のボートハウスがあるんだけど、そこがティーンエイジャー用の遊び場として指定されてて、そこにはサウンドシステムがあって、レコードも何百枚もあって。それは毎年ティーンエイジャーが、たとえばホットドック・スタンドとか、昼間のそこでの活動で働いて稼いだお金を集めて大量に買ったレコードでさ。で、そのレコードをボートハウスで一夏みんなで聴くの。あと週に2回はダンスの日があって、夜、フルボリュームでかけてみんなで踊って騒いでっていうのがあるわけ。そこで音楽も悪さもすべて覚えるわけよ(笑)」

★(笑)へえー、おもしろいね。

「そんな中の毎年かかる大ヒットナンバーとして、ポリスはすごい記憶に残ってるよね。オレの中でポリスのいちばんのヒットは“ロクサーヌ”だね。それは強い思い出として残ってるな」

★なるほどね。

「で、そのボートハウスに行ってカセットテープにLPを録音するんだよ、毎年そこで買った新譜を。それを次の夏まで一年中聴くの(笑)。だからボートハウスに寝間着とか持ってって30〜40枚を一晩中録音するんだけど、そういう中でポリスとかよく録音してたのは記憶に残ってる」



それに直接反発した若き心がオレの場合、へヴィメタルだったの(笑)


★じゃあその国際村でいろんな音楽に目覚めていくんだね。

「そうそう、だから中学に入ってからだね。80年代のクソポップみたいのが流行り始める頃に音楽に意識的になったのかな?」

★クソポップって?

「たとえばカルチャー・クラブとか。ポップでキャッチーで、なんだこのボーイ・ジョージは!? みたいな(笑)。あとお姉ちゃんの影響で、デュランデュランみたいなクソポップを聴かされて、もっとひどいので言うとREOスピードワゴンとかエアサプライ、シカゴ、ジャーニーとか、ほんとどーしようもない音楽がお姉ちゃんの部屋から聴こえてきて、それに直接反発した若き心がオレの場合、ヘヴィメタルだったの(笑)」

★はははは、なるほど(笑)。

「まわりに対してクソー、こんなんでどうだ〜!みたいな自分の姿勢を示す音楽が、WASPとかクワイエット・ライオットみたいなモロにメタル(笑)。それが初めて自分が音楽に反抗期的に目覚めた音楽だったんだけど、オレが80'sミュージック全般的に詳しくてヒット曲もよく知ってるっていうのは、その夏の長野での生活が中心になってるからかな」

★そこに入れる年齢層は十代だけなんだ?

「下は13歳、上は18歳まで。それより上は卒業になっちゃうし、若すぎると入れて貰えない」

★それはいろんなこと教えて貰えるよね。

「(笑)そうそう。まあ卒業する頃にはワルくなり過ぎて違うとこ行っちゃうんだけどね、みんな。でもそうやってピュアに遊べた時代もあってさ」



グランジが生まれるのとまったく同じようなところに自分たちもいたね、いま考えると



「寮も高校生の先輩までいっぱいいたからおもしろかったんだけど、当時遊びに原宿の駅前のテント村に行ってたな。『わー、この外人、日本語がうまいだけじゃなくてダッペだよ!』『茨城弁しゃべる外人がいる!』ってなって(笑)、けっこう話題になってたから(笑)。で、パンクに目覚めて。その頃ってハードコアなパンクの人たちと、ブルーハーツっぽいパンクの人たちがいてさ、オレは後者の楽しい方のパンクが好きで、トイドールズとかのハッピーパンクを通った時期があったんだよね」

★ニューウェーヴ、テクノポップ、ニューロマンチックスとかには影響された?

「わかんなくはなかったんだけど、モンスターヒットが出てきてない分、印象に残ってないのかもしれない。スージー&ザ・バンシーズとかキュアーとか好きなバンドもいたけど、マニアックにどっぷりはまる方じゃなかったから。オレの場合、短期型にそのシーンにはまってみたり服装もそうなってみたりっていうのが、いろいろあった感じだから。髪型とかニューウェイヴになった時代もあったからね(笑)。なんかちりちりで斜めな感じ(笑)」

★(笑)地元ではどんな感じで遊んでたの?

「地元では貸しスタジオにたまって。楽器が何ができるわけでもないのにみんなで音出したり。ちょうどその頃って演奏もなんでもありっていう感じでオルタナティヴっていうか、グランジが生まれるのとまったく同じようなところに自分たちもいたね、いま考えると。ものすごいグランジだった」

★それってどういう意味で? 

「だからほんと反抗期なエネルギーの爆発だけの音楽で、いわゆる楽器力とかテクニックがあるわけでもなく、ほんとフラストレーションを爆発させるための場の表現として音楽を追究していったっていう」

★なるほどね。

「あと実は高校生の頃に重い病気にかかっちゃって、学校にも行けなくなっちゃって」

★どれくらい?

「けっこう長いこと。高校2年のときに半年以上は入院生活送ってた」

★そうだったんだ。

「そこで小山田圭吾(コーネリアス)に出会うんだよ。交通事故で入院してて隣の病室にいたんだけど。それで小山田圭吾はアコースティックギター持ってたから、そこで(ジミヘンの)“パープルヘイズ”とか(ディープパープルの)“スモーク・オン・ザ・ウォーター”の弾き方を教えてもらったりして(笑)」

★へえー。

「で、高校3年になって、そのうち退院して学校に戻るんだけど、けっこう重い体験をしてたってこともあってあまり学校に戻る気がせず、そのまま学校からフェイドアウトしたと同時に、まだ若い17歳くらいだったんだけど仕事の話があって(笑)。小山田くんのいたレコード会社で仕事を始めちゃうんだよね」

★なるほどね。じゃあ総括すると、そんないろんな展開があった80年代ってブライアンにとってどんな時代なんだろう?

「80年代ってポップっていうものが爆発してた気がするの。あちこちで過激なものがばっこんばっこん生まれてる感があった気がする。それはまだ70年代のムーヴメントから分散するワールドワイドな力が強かったのかもしれないし、実際メディアも発展してそういうことを可能にしたのかもしれないけど、オレはほんと80年代って大きな花火のように感じてる。ただ、ひとつひとつとってみたらたしかにダサかったりするんだけど--------なんだカルチャークラブかよ!とか、クワイエット・ライオットかよ!って(笑)」




80’s お宝紹介

これは80年代カルチャーに目覚める前の子供時代の名残ってことになるのかもしれないけど、大事にしてたおもちゃ。スター・ウォーズって70年代後半に大ブレークして、僕も8歳の頃からすごく好きで、毎年クリスマスとか誕生日にスター・ウォーズのフィギュアをもらえたり自分で買ったりして集めたんだけど、それが入ってるアタッシュケース。でも80年代の頭くらいには自分の中のおもちゃブームも去っていって、もうその存在すら忘れちゃってたのね。それをお母さんが大事に取っておいてくれて、で、10年くらい前に映画雑誌の取材でジョージ・ルーカスのインタビューの通訳に指名されて行ったことがあるんだけど、そしたらそれ聞いたお母さんがわざわざ取材するホテルまでそのアタッシュケース持ってきてくれたんだよ、急に。あんたこれにサインしてもらいなよって持ってきてくれて。それをジョージ・ルーカスに見せたら喜んでサインしてくれたんだよね。だからお宝なんですよ(笑)


インタビュー:井村純平(TOKIO DROME/WISDOM)


Bryan Burton-Lewis(ブライアン・バートン・ルイス)
1971年の10月9日生まれ。

ブライアン・バートン・ルイス 『歩くメディア』ことブライ・アンバートン・ルイスはラジオ及びテレビ番組の企画・パーソナリティ、MC、CMナレーション、作詞・作曲、通訳、モデル、俳優、DJ、イベントオーガナイザー、バンド「SAFARI」のヴォーカルなど、多方面で活躍中。英語と日本語を巧みに使い分ける陽気なキャラクターと、様々な経験を経て築き上げた独自のネットワークは、洋邦、メジャー/インディーズを問わず、ロック/パンク/オルタナティヴ/ヒップホップ/テクノ/ハウス/トランスなど、幅広いジャンルに渡る。

 また、ここ数年は個人的趣味が発展し、ダンスカルチャーに傾倒。DJとしても注目を浴び、イベント・オーガナイズまでも手掛ける。日本最大の野外フェスティバルFUJI ROCK FESにおいても「オールナイトフジ」「Day Dreaming」という2つのステージをオーガナイズし毎年大盛況を収めている。

 現在、SPACE SHOWER TVのWEBで放送(毎月曜日不定)されるミックス・メディアな実験番組DAXと、76.1InterFM「SUPERFESTIVAL」(毎週土曜日21:00〜22:30)をハチャメチャ愉快なトークで発信中!!

 そんなブライアンの80年代とは、ティーンエイジャーそのものの10年間だった!

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