


★瀧見さんは66年生まれですけど、生まれ育ちは東京ですか?
「うん、八王子。中学も高校も八王子の公立の学校」★80年が中2くらいですけど、もう音楽はいろいろ聴いてたんですか?
「意識的に聴き出したのは、たぶん中学生くらいじゃないかな。スタートとしては普通にラジオをエアチェックしてハードロックやフュージョンを聴いて。あとドナルド・フェイゲン(※米国のバンド、スティーリー・ダンの中心人物)みたいなAOR(※アダルト・オリエンテッド・ロック)とか。当時レコード買ったので覚えてるのがスペクトラム(※日本のブラスの精鋭たちが集まったバンド)と、渡辺香津美(※ジャズシーンを代表するギタリスト)と、ナベサダ(渡辺貞夫/※ジャズサックスプレーヤー)とか(笑)、なぜかそんな感じ(笑)」★へえー、そっち系を聴いてたんだ。遊び場としては地元が多かったんですか?
「いや、高校生になってから都内に遊びに行くようになって---------下北沢とか新宿とか。だから輸入盤レコードを買うようになったのも高校入ってからじゃないかな。バイトし始めてからだから。あと高円寺にBOYっていう(音楽雑誌の)『DOLL』がやってたロック喫茶があって、そこでビデオ上映会やってて、そこにけっこう行ってたな」★ビデオ上映会ってありましたねえ(笑)。
「当時はそれしか(海外アーティストのムービーを)観れなかったからね。あと渋谷のセンター街にもビデオ上映会をする場所があって、そこにもよく観に行ったの覚えてるな。そこでバウハウス(※ゴシックの元祖ともいえるポスト・パンクバンド)とかキリング・ジョーク(※インダストリアルの先駆的存在のポスト・パンクバンド)が動いてるのを初めて観たっていう(笑)」★でもそういうニューウェイヴ系の音に行ったのはなにかきっかけがあったんですか?
「いや、いついきなり移行したのかあんまり覚えてないんだけど、でも普通にジャパンとかバウハウスとか聴いてたんだよね。もしかしたら音からじゃないかもしれない。レコード屋で見た写真から入っていったのかもしれない。でも初めて買った輸入盤は覚えてる。それはバウハウスの『テレグラム・サム』(※T-REXのカバー)なんだよね」★あ、そうなんだ。
「33回転で聴いてて、ああ、こういうものなのかなあって思ってて、でも実は45回転だったっていう(笑)」★わははははは!(一同爆笑)
「しばらくそれで聴いてた(笑)」★レコードならではですねえ(笑)。
「そうそう(笑)。そういう感覚がいまも生きてるんだけど(笑)」★じゃあ高校生になってひたすらレコードに向かっていったという?
「もう完全にそう。バイトした金で全部レコード買ってたよね。高校の時はほんと西新宿と下北のレコード屋ばっかり行ってた。でも当時、輸入盤(の12インチシングル)って一枚1350円したから、月に何枚買えるかっていうのは深刻な問題でさ(笑)。しかも試聴とかできないから、失敗したのもすごいあるけど」★失敗すると、もう愕然としちゃいますよね(笑)。
「愕然とするんだけど、必死になっていいところを聴こうとするから、それはそれでいいわけよ(笑)。いいと思い込んで聴くっていうのもあったからね(笑)」★日本のインディーズバンドをライヴハウスに観にいったりはしなかったんですか?
「それは高校出てからかな。仕事で行くようになったり」★仕事?いや、実はいちばん瀧見さんに聞きたかった話ってそれと関係してくるのかもしれないけど、いったい何歳の頃から(当時かなりマニアックな音楽を扱っていた専門誌の)『フールズメイト』で文章書き始めたんですか?
「18歳(笑)」★え、ほんとに!?(笑)。それは洋楽をいろいろ聴いてた流れで?
「そう。高3のとき、フールズメイトでよくあるボランティア募集みたいな記事をみつけて、電話して普通に行ってみたんだよ。で、高校出てからオレ浪人してるんだけど、その浪人してるときにそのまま編集部に入らないかって言われて入っちゃったっていう」★すごいなあ。だって僕、かなり若い頃から雑誌で瀧見さんの名前よく見かけてて、すごい文章書くなあって思ってたのに、歳聞いたら同じくらいだし、いったいどういうこと?って(笑)。
「普通、10歳くらい上だと思うよね(笑)」★フールズメイトは何年くらいやってたんですか?
「だから普通の人が大学生になるときにフールズメイト編集部に入って、普通の人が大学を卒業するときに辞めて(笑)。ちょうど4年間(笑)。85年から89年かな?」★じゃあ瀧見さんの80年代って、高校3年間の西新宿・下北のレコード屋通いと、その後のフールズメイトとのかかわりあいっていうがすごい大きいんですね。
「かなりそこで人格形成されちゃってるねえ。ていうか10代後半から20代前半のそういう時期にたまたま80年代があたったっていう」★でもそれにしてもいろいろあった時代ですよね。
「相当いっぱいあった。映画でもほんとにいいものいっぱいあったしね。あと音楽からいろんな文化に拡がっていけたっていうは、すごいでかかったと思う。だから(ポジティヴパンク/ゴシックバンドとして名を馳せたバンドの)セックス・ギャング・チルドレンとかデス・カルトのジャケットから、(写真家の)ダイアン・アーバスに行ったりもしたし」★なるほどね。
「いまは音楽は音楽だけって感じがしちゃってるけど。あの時は(好きなアーティストに関連することは)自分で調べようと思ったし。よくインターネットもないのに高校生で調べてたと思うけど(笑)。で、映画とかビデオ上映やるときにはわざわざ行ったりして、雑誌もジャケットもほんと隅々まで読むっていう。とにかく読み取ろうってしてたよね」★そうですよね。
「あと80年代ってポストモダン文化とかの流れもあって、浅田彰さんの本を読んで、よくわかんないんだけど、わかったふりして読んでおく、みたいな(笑)」★ははははは。
「そういう感じだよね(笑)。わかんないんだけど、何か伝わるものがあるっていう(笑)」★(笑)。
「でも、はったり効いてるんだけど、ちゃんとバックグラウンドもあるっていう。だっていきなり(アインシュテュルツェンデ・)ノイバウテン(※ドイツの実験的バンド。当時のインダストリアル・ミュージックやノイズ・ミュージックの代表的存在)とか来日して、あれ観て何がなんだかわかんないけどかっこいいって思った人って絶対いたと思うもん(笑)」★ちなみに(瀧見さんが主宰するレーベルの)クルーエルを立ち上げたのはいつなんですか?
「25歳か26歳くらい。91年頃。22歳で(フールズメイトを)辞めてから3年間くらいフリーライターをしてた時期があってさ。あと辞める直前くらいから(下北沢にあったクラブ)ZOOでDJを始めてるんだよね」★あ、そうなんだ。それってまだ80年代の終わりですよね。
「89年くらい」★ダンスミュージックが出て来たりして、また音楽の聴き方が変わり始めるも頃ですよね。
「そうだね。CD時代との境目で、そうすると再発されていく旧譜を新譜として聴くっていうかさ。新譜として中古を聴くっていうのが88年くらいにあったんじゃない?でもそれまでの80年代ってその時に出てるものがいちばん最高っていう価値観だったじゃん?ちょっとでも古いものはダサいっていうかさ。だから昔にいい音楽があって、それに影響を受けたやつがいま音楽をやってるっていうのが、まだ子供だったからわかんなかったからさ。当時ピンクフロイドとかローリング・ストーンズなんて全然良さがわかんなかったもん」★僕もそうでしたね。当時はビートルズも全然わからなかったし。
「たしかにビートルズもクソって感じだったよね、80年代的には。だったら新譜聴くわって感じで。ただ、フールズメイト編集部で年上の人に過去の音源をいろいろ聴かせられて、当時はよくわかんなかったけどそれがいま生きてるというか、後から思うとそれはよかったかなって」★なるほどね。
「ただ高校時代もそうだけど、ニューウェイヴも聴いてるけど、一方でドナルド・フェイゲン流れのAORとかコンサバっぽいのも聴いててさ。あとカフェバー文化があったり。そこら辺は自分の中でうまく分けて遊んでる感じがあって、自分的には両方並列してあったって感じだなんだよね」★それは無理なく?
「全然無理なく。それが(主宰しているレーベル、クルーエルのレーベルカラーも含めて)そのままずっと来ちゃってるって感じだよね」★なるほどね。たしかにクルーエルって、ただマニアックなわけでもなければ、逆に、洗練されてるんだけど変態っぽさもしっかりあるというか(笑)、おもしろいレーベルカラーもってますよね。
「だから80年代からやってることって基本的に変わってないんだよね(笑)。金があったらレコード買って(笑)。ただ紹介する手段が変わっただけで」■80’s お宝紹介
「86年にフールズメイトでサイキックTVを呼んで、中野公会堂でライヴやったときに(当時ハナタラシ、現ボアダムズの山塚)アイちゃんの爆弾事件っていうのがあって(※前座の予定のハナタラシが会場に爆弾を持ち込みライブを中止にした伝説の事件)。この人はほんとにもう何なんだろうっていう(笑)」
「そんときオレは受付でチケットのもぎりとかやってるわけよ(笑)。『爆弾だよバクダン!』『えー!!』みたいに騒然となって(笑)、スタッフはみんな真っ青になっててさ(笑)。『あの人が山塚アイさんだ!』みたいになって(笑)」
「で、これはその時の思い出の品。サイキックTVのジェネシス・P・オーリッジからもらったTシャツ(笑)。あと全員のサイン入りレコード。音は人力ハウスミュージック。サイキックTVって昔から今で言うハウスっぽいことやってて、でも当時は(時代に対して早すぎて)ハウスってまったくわかんなかったし、そういうふうに聴いてなかったけど、後から聴くとなるほどってすごいわかる。
インタビュー:井村純平(TOKIO DROME/WISDOM)